ついに。
みなさん。聞いてくださいよ。
ついに。ついにですよ。
古澤剛メジャーデビュー!👏👏👏
ほんっっっとうにおめでとうございます!
古澤さんとの出逢いは5年前ですね。コブクロの小渕さんがブログで紹介してるのを見て、YouTube観てみたら、、、もうね、どハマりですよ。
なんじゃ!?このかっこいい歌声とギターは!?!?なんじゃなんじゃ!?!?
って感じでしたよね、はい。もう感動が止まらんくって、そこから調べまくりましたよね、ええ。
そしたらね、Twitterってのをやってらしたんですよ。いまや知らん人おらんのじゃないかってくらい広まってますが、その頃は、なにそれ、、状態で。(笑)
とりあえず、ガラケーで(まだiPhoneとかスマホもそんな広まってなかった)調べてアカウント作って、フォローして。
その頃のプロフィール画像がこちら!
、、って貼りたかったんですけど、携帯に入ってませんでした。(笑)(ちなみにセーラー服のともだちとの後ろ姿の写真でした)その頃から繋がっとる人はかなり少ないだろうなあ。ほとんど古澤さんファンの方なはず。懐かしいなあ。
そして、まさかの徳島で古澤さん好きな子とTwitterで繋がりまして!その頃、古澤さんのファンサイト的なものを運営しとって、勝手に歳上じゃと思っとったらひとつ歳下の女の子でして。
あたしのともだちのひらおと、その子のともだちとの4人でチーム徳島ってのがいつの間にかできてまして。(タケチラシよく配ってたなあ。懐かしい。)
ひよこ、ぱっちー、ひらお。
ほんま回数にしたら数回しか集まってないんだろうけど、毎回会うたびに家族みたいな温かさを感じる3人です。みんなに出逢えたのも古澤さんがおったけんやな。高校生だった4人ももう社会人と大学4年。はやい。。
徳島にも歌いに来てくれたり、チーム徳島で東京に行ったり、思い出はたっっっくさんあります。ほんまに。
古澤さんはいい意味でほんまに変わらん。いつも会ったらチーム徳島のみんなのこと気にかけてくれて、4人のお兄ちゃんみたいです。(笑)
いろんな思い出の写真はパソコンに眠ってるので、また後日Twitterにでもアップしようっと。
本当になんて言えばいいんかわからんけど!(語彙力ください)歌声がしびれます。泣きそうになるし、元気になるし、パワーが溢れとるし、(語彙力ください)
デビューシングルの「Color」。
ぜひ、聴いてください。
「武道館連れて行くけん!ついてきてね!」
よく言ってくれよった言葉が実現する日も、近づいてきたような気がします(=゚ω゚)ノ
その日までわたしの初武道館は大事に取っておきますね〜〜!!
本当におめでとうございます!
これからも今までと変わらず、応援しています!
日本中!いや、世界中に!
響け!届け!古澤剛!!!!!
ゲンテン【3】
⇨
【ゲンテン3】突然の活動休止
2011年8月
発声時頸部ジストニアと診断され
突然 活動休止を発表
小「ある時から急に「あれ?あれ?」って思い出してから、声が出なくなって。」
清「思い切って聞くね?解散て考えましたか?」
小「黒田がもう歌わんって言ったら、わかったって言うしかない。それはなぜかって言ったら、黒田に歌を作ってるっていう気持ちが強いので。でも、その言葉は一回も出ず。でもね、ぼくが調子が明けるのが半年くらいかな?って言われて活動休止したんですけど、そのときに一回休もうと決めたのは黒田だったのね。ツアーの途中からもう段々声の調子が悪い。でもお客さんは来てくれてる。全然100%のパフォーマンスじゃないのにお客さんが集まってくれてる。段々最終日に近づいて、次の仕事も、次の仕事も決まってて。それを黒田は「この仕事もこの仕事ももう申し訳ないけど頭下げてキャンセルしよう」って。「いや!それは無理!」って心の中で思って。いや、それだけはやってから休止しようって思ってたら、「いや、小渕。それもやったらアカンと思うねん」って。「ここで一回休もう。やめよう!遅い!もうこれでおしまい!一回やめよう!」「十何年走ってきたやん!」って。なんか考えもしなかった。電話で何時間くらいしゃべったかなあってくらい。立ち止まる人の気持ちが初めてわかったのはあの時かなあ。人って立ち止まるんだなって思って。立ち止まったらいけないのかと思ってたってところもあって。サラリーマンからそのままミュージシャンなってそのまま黒田とガーーッと一緒に来た日々に、立ち止まる瞬間は1日もなかったんだけども。こんな風に立ち止まるんだ。って思ったときになんかいろんな人の顔が浮かぶ。サラリーマンの方が、急に今日会社を辞めなさいって言われる気持ちとかわかんなかった。」
清「実はその当時を知るある方から、お話聞いてます。布袋さんから。」
布袋寅泰さん
「声が出ないと聞き、ボイストレーナーの先生を紹介しました。休養の時間は彼にとって様々なことを見つめ直す大切な時間だったと思います。一緒に島に旅行したり、また彼もロンドンを訪れてくれたり、随分ゆったり一緒に過ごしたけど、何気ない会話がテニスのラリーのようにお互いを知り、受け入れ、また 高め合う、僕らの手段。そんな会話からのヒントをそれぞれ音楽にしてお互いに伝えてるような気がします」
小「「コブクロは黒ちゃんと2人で歌ってこそコブクロで、そこに2人の気持ちがあるんだからむりせず、そして今こそゆっくり休んで。ほら、島行こうよ。」って。憧れた先輩にこんな優しさをもらうとは。でもね、夢は見続けなきゃってことをビシッと行ってくれて。毎回。またねって言ってくれる強さももちろん。」
清「活動を休止した時に、一言で言うならば、見つめ直したことってなにかあります?」
小「こんなに音楽好きか?オレっていうのはすごく思って(笑)あともう一個は、黒田がやっぱりいないから、その半年間。あんなに曲作るの好きで、週に一回でも曲作れる自分が一曲も曲を作ろうと思わなかった。それは黒田がいないから。ってことは黒田から一緒に歌おうぜって言わなかったら、ぼく何もしないんだな。ってことは元に帰る。結成する前に黒田が「歌作ってくれへん?」「いいですよ」っていう関係は今も一つも変わってないなあと思う。」
清「コブクロってすごいね。すごいね、この絆って。やっぱり本当に、なんだろ。すごいね。黒田がいないから言えることなのかもしれないですけど、黒田っていうのは小渕くんにとってどんな存在ですか?」
小「黒田の存在、、。んー。まあ、一度夢をあきらめた人間の夢を、見事にかなえさせるほどのまっすぐなエネルギーがあるやつですよね。それはぼく、2人の関係でいうと、完全にぼく諦めてたんで。それすら奮い立たせて、もういくらでもいける!って思わせてくれたやつですね。ぼくの使命は何度も言うんですけど、黒田の声をもっともっといろんな人に聞いてもらわなアカン!っていうのがやっぱ強くありすぎるので。」
2012年4月 コブクロ復活
清「こうやって、初めて小渕くんとこれだけ長い時間話させてもらって、いろんなこと感じたけど、やっぱり今回も「未来」って曲があって、そこにあるものじゃなくて、掴みにいくもんなんだと」
小「木の枝っていうのがあって。枝の先が太い木なんて一本もなくて、幹は太いけれども、一番その木の先端、今を生きてる枝の先は一番か細くて、ほんとに細い糸みたいになってる。でもここが今の自分でしょっていう。つまり、今日という日は実は本当はか細くて、こっちに太い幹があったんだけどもか細いほうを選んだのも自分っていう。選択したのも。辛いかもしれんし、しんどいかもしらん。でも、そっちに未来があると信じると、見えないところに枝が生えてくる。」
清「でもこうやって会わしていただくのは本当にありがたくて、ほんとにまた一回ライブ観させてもらえればなと」
小「こんなのを聞いてもらって、コブクロの歌たていうか、黒田の歌とか聞くとね、結構ぼくは沁みると思いますよ。同級生同士やから(笑)」
清「黒田の歌で泣いたらどうしよう」
(笑)
僕の使命は黒田の歌声を
たくさんの人に届けること
今度は黒田さんに話を聞くと言ってたので、そちらもたのしみですね⊂( ・ ̫・ )⊃
見てくれてありがとうございました ○
以上です ○
ゲンテン【2】
⇨
【ゲンテン2】ついにメジャーデビューへ
清「YEELがみんなに受け入れられて。これはやっぱいけたなって感覚は?」
小「メジャーデビューってこんなにすごいんだっていう。ぼくらCDとかデモテープも手売りで売ってて、そんときでもすごいすごい言われたんやけど、メジャーデビューしたシングルが25万枚くらい売れたのかな。それがね、ちょっと怖くなったのが、誰が聞いてんねやろ?って」
清「顔が見えないっていう?」
小「そうそうそう。手渡しして買ってくれた人じゃないから、誰が聞いてんのかわからん、その暖簾に腕押し感がすごくて、嬉しい反面、どうなっていくんやろ?っていう」
その後も次々とヒット曲を生み出すコブクロ
そして、ついに黒田のために作った「桜」が大ヒット
堺のストリートミュージシャンから
ついに夢だった武道館へ
名曲はどのようにして生まれてくるのか?
清「まずはメロディからできるのかな?」
小「いやぼくは基本詞からが多い。で、できるだけ詞を読んだイントネーションと、メロディのイントネーションを一緒にしたいっていうのがあって。そうするとしゃべってるみたいに聞こえてくる。だから、しゃべればいい。」
清「そうやってコブクロの曲をカラオケで歌ったら上手く聞こえるのかな?」
小「無理ですね」
(笑)
清「やっぱり小渕くんにはギターなんだ」
小「ギターが大好き。やっぱり弾き出したのが小学校終わりから中学校くらいで、そんなに派手じゃないというかおとなしい性格で、内気で、でもギター好きでずっと弾いてたら、いろんな人に会わせてくれる人が出てきて。たとえば先輩でも「小渕くんギター上手いから、今日あそこの公民館来てくれへん?」とか」
清「この一本がいろんないろんなことを広めてくれた?」
小「自分一人では行けなかったところに、ほんとロケットみたいにどんどんどんどん連れて行ってくれた記憶があるので。ほんと離せない。」
清「初めて弾いた曲は?」
小「「酒は涙か溜息か」っていう古賀政男さんの。お父さんが弾いてるのを、見よう見まねで(笑)」
実際に披露。
清「一番カバーしたのは誰の曲?」
小「BOØWY、かな?」
BOØWYの曲も披露。
清「そして、「蕾」。これは小渕くんにとっても大事な曲なんですよね。」
小「うん。そうですね。母のことを歌ってるってこともありますけど。やっぱり自分の見た18歳の時の記憶。母が亡くなっていく瞬間。いま命が消える瞬間をやっぱり目の当たりにして、ぼくも歌好きやし、母もすごい歌好きで、日本一の民謡歌手みたいな時期もあって。それで武道館とかもオファーがきて。大会があるから小渕さんのお母さんもきてくださいって。でも「行かない」って言ったときがあって。「お金がないんだよ、健太郎」って言われて。東京に行く飛行機代がないから今回お母さんは行かんよって。なんかもう苦しくて。だから、いまオレは歌ってるんかなって思う日もきてね。代わりにじゃないけど、でもかあちゃんの代わりに歌えてるんだったらいつでも歌うし。頭の「涙こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ 誰も気付いてはくれない だから あなたの涙をぼくは知らない」ってのは、ほんとにかあちゃんが働きもんで、毎日のように二つ三つ仕事掛け持ちしてバタバタしてるかあちゃん見てて、汗なのか涙なのか、まあ例えですけど、子供の時見たらわからなかったんだろうな。あれは泣いてたのかなあ。」
小「あんだけ働いてオレと二つ上の姉を育てた人。あの人が音楽好きだったから、自分も音楽やってると思うので、ゆっくりゆっくり記憶をたどって書いたなあ。」
続く ⇨
ゲンテン【1】
ten.「ゲンテン」コブクロ運命の物語
スタジオにいる、ますだおかだの増田さんもすごくリスペクトしているという小渕さん。「コブマス」になりたいくらいだと。(笑)
そして、今回小渕さんと対談する、清水健アナウンサーは知ってる方も多いと思いますが、黒田さんとは小・中学校の同級生で親友です。そんなシミケンさんが、今回あえて別々に話を聞きたかったのだそうで。
対談の場所は、心斎橋の三木楽器。コブクロファンならご存知の方も多いでしょう。デビュー前、お店の前でライブをしてたこともあり、ファンの間では聖地と呼ばれる場所のひとつ。6月26日に移転してしまうのが残念ですね。。
さて、がんばって文字にしたので、打ち間違いもしあれば、見逃してやってくださいね。(笑)
【コブクロの「ゲンテン」とは】
あえて、小渕さんとだけ。とシミケンさんが伝えると、「びっくりしました。世界初ですから。」と笑う小渕さん。「黒田がおったら喋れんこともあるかなあと思って」「あるかもしれないですね(笑)」そんなゆるく始まりました。
そして、黒田さんからシミケンさんにメールが届いたそうで。
「小渕は オレとおると小さいと思われがちですが、実は平均ぐらいやというのを世間の人に わかってもらう、今日は絶好のチャンス!清水とやったら 厚底靴じゃなくても大丈夫!」
するとこぶちさん。
「でも、ぼくのすごいところは、清水さんとやのに若干厚底っていう」(笑)
関西が生んだ人気フォークデュオ「コブクロ」
2人が大阪で出会ったことにより始まる運命の物語
まずは、どう呼び合うかについて話し合う、小渕さんとシミケンさん。(笑)
「小渕くん」「清水くん」と呼び合うことになり、敬語使ったら罰金という制度が(笑)さっそくシミケンさんが敬語使うと、すかさず小渕さんが「はい!100円!」という場面も(笑)
【ゲンテン1】黒田との運命の出会い
清「この大阪で初めて黒田と出会うわけじゃないですか。初め、どんな存在だった?」
小「ぼくそのときサラリーマンやったから、会社帰りにごはんも食べ終わって、じゃあ行きましょうって部下とかもおって、ほなバーっと歌ってるわけ」
清「え?ひとりで?」
小「ひとりで。いろんな人が。いろんな人が歌ってるところにバンッて黒田がおって。もう、その、なんでしょう?風貌?何パーマっていうのそれっていう風貌で顔はほとんどこんくらい(手でやる)しか見えないから、40代くらいの方がね、音楽でダメで今ここで歌ってはるんやろうなっていう域の雰囲気ですよ。それで歌声に段々近づいていくと、そのボリューム感がすごすぎて、しばらくは近づけないくらい。」
清「やっぱり上手いの?」
小「まずは音量。音量がでかい。」
他の人が歌ってる音量とは比べものにならないくらいの声で歌ってたそうで、小渕さんが黒田さんのモノマネをして再現。(笑)
小「お前、原曲聴いたことあんのか!って若干思うくらい、はっきり言って最初信じられんくて。(笑)」
清「それでも惹かれる部分があった?」
小「ものすごくうまい。独特。どうやって今までやってきたらこんな歌い方になったんやろ?っていうのがものすごい興味があって。ぼくは、(カバーで)そのアーティストっぽく歌うのがいいんじゃないかって思う派で、でも黒田は「なんでその人っぽく歌わなアカンの?」って思うタイプやったから」
清「小渕くんと正反対のものを持ってた?」
小「そうそう。で、歌をパーって歌って、次の歌も聞こうかなと思ったら、「ほんで昨日ね〜」って言って30分くらいオカンの話。大爆笑をかっさらって、「ほんなら!」って言って帰っていく。この人歌う人なのかしゃべる人なのか?さえちょっと最初わからんくって。」
清「でも周りには人だかりができてる?ってことはやっぱ魅力があったんだ」
小「そうそう」
サラリーマンをしながら、週末は堺のストリートでギターを演奏していた小渕さん
清「初めて話しかけたのはどっちから?」
小「初めては黒田から。ぼくは歌うことと同じくらい弾くことが好きだったんで、大好きなギターリストの曲を弾いてはたまに歌うってやってたら、今度は黒田がぼくのこと見て「なにをやってんねやろ?ストリートって歌う所ちゃうの?」みたいな感じで。「なんでそんな一生懸命弾くんですか?」って聞かれて、いやいや好きなんでって言うと、えらい見るの、こうやって。(笑)(目を細めて、顎に手を添えて)あとにわかったこと、黒田ギター弾けないんですよ。そのうちわかる(笑)だからそのギターで歌いたいと思ってくれたのか、えらいギターに対して絶賛してくれたけど、40歳くらいの人やと思ってたから「あ、ありがとうございます」みたいなノリやったのは今でも覚えてます(笑)」
清「それがほんと言ったらコブクロのスタート。へぇ〜」
小「でもね。それからはもう早かったよ。曲ができるまで。「桜」ができるまでは早くて」
清「「桜」は小渕くんが相方に歌って欲しいと思ったの?」
小「あ、これもまた逆で、黒田くんが「小渕くん、曲作れるんですか?」って言われたからいや作れますよって。作ったことないのに(笑)サラリーマンで営業しながら、自転車とかバイク乗りながらずーっと「桜」を作ってました。(営業で
まわる)地図の裏にメロディって言っても音符じゃないんで、山なりの線みたいなのを書いて、留守電入れてっていうのをして、ある程度できて歌詞もできて、黒田を家に呼んで、こんな歌ができたんであげます、どうぞってプレゼントっていうか、頼まれたものですじゃないけど(笑)」
清「それであの名曲ができたんですね」
小「そのときは別にそれが名曲とかいい曲やとかなんのジャッジもないから、黒田もありがとうって」
このとき作った「桜」がヒットするのは7年後のこと
清「それを歌った相方を見てどう感じましたか?」
小「まだ一人で桜を歌ってるときは2人くらい集まってたかな。ギターを軍手で。全然弾いてなくて、誤魔化してやってて(笑)「ギターをね、軍手して弾くもんじゃないよ。」って言ったら「寒いねん」って言ってました(笑)じゃあ、ぼくがギターを弾くのでって。歌を覚えてたのが嬉しかったので。歌ってくれる?オレがギター弾くからって。で、ハモるのが好きだからハモってハモってしてたら、パッて見たら100人くらいの人が集まってたんですよ。」
清「それが初めてふたりで「桜」を歌った時?」
小「そう。それでまだオリジナルです なんてかっこ悪くて言えなくて、「今の誰の歌ですか?」って質問に、「今のはMr.Childrenさんの昔歌ってた曲です。」ってそういうしかなくて(笑)」
清「自分たちでこんなに集まるはずがないって思ってるから?」
小「で、またその人達がバーって散っていって、「なんやったんやろなあ?」みたいな感覚。もっかい歌ってみよかって歌ったら、またどこにおったんやろかって人がわーって増えて、それを5週間くらい続けたのかな?1ヶ月ちょっと。その頃、ぼくはサラリーマンやってたんでね、音楽でこの先、生きていこうなんて思うこともできなかったんだけれども、黒田はもう一緒にやりたいと思ってくれてたみたいで、実は組みたいんやって、一緒にやってくれる?って言われて。でも条件があったんで、「いやぼくはサラリーマンやってるので、会社は辞めないですよ」って。「会社辞めない中での音楽でもいいですか?」って言ったら、いや、いい。と。週に1回でいい。一緒に歌えるだけでいい。って。申し訳ないな。プロになりたいんだよね?って言ったら、「なりたい!」って。そんな人にね、(会社)辞めへんって言ってもええんかなって。でもしょうがないから、そうやって言ったの。でもそれでもいいって。オレは音楽好きやけど、それは趣味の一つとして。とうの昔に趣味にしてしまったから、夢というか、夢の鍵は宝箱にしまいこんじゃってたので、二度と開ける夢じゃないという」
清「え、小渕くんミュージシャンになること諦めてたの!?サラリーマン時代!」
小「とっっっくに諦めてます。高校時代くらいで諦めてます。」
プロの歌手を目指すフリーター
プロの歌手をあきらめたサラリーマン
1998年 コブクロ結成
清「でもその「桜」を自分たちが歌って100人がバーって集まってくる。でもまだ歌手になろうとは思えなかった?」
小「無理。無理と思いすぎてたところもあったかな。ミュージシャンがあまりにも大きすぎて。絶対に無理。だけど、実は3ヶ月ちょっとで会社を辞めるんですよ、急に。辞表自分で出して、勝手に。黒田にも辞めるって言わんと辞めて、辞めた日に「辞めました」って言ったら「え〜!小渕くん会社辞めたん!?」って言う感じやった。でも、それはだんだん黒田の声を世の中の人に聞いてほしいっていう思いが生まれて。今で堺の商店街で1000人が聞いてくれたと思うとね、難波に行けば1万人、梅田に行けば2万人みたいに思うとね、どんどん膨らむ。」
清「だからすごい。コブクロって、黒田が小渕くんのギターに惚れて、小渕くんが黒田の歌声にも惚れて。ほんと相思相愛だったわけだね」
小「そうですね。いまも全然変わらないです。黒田の声を一人でも多くの人に聞いてもらうためならいくらでも曲が作れると思える。原動力というか。」
清「いや、これは黒田嬉しいよね。だって、自分の声をみんなに聞かせたいって思ってくれる相方がいるわけでしょ?」
小「うん、でもやっぱりそれはあいつが毎回オレを感動させてくれるし、何百回と、この30cmくらいの距離で歌声を聞き続けたあの頃 叩き込まれてる感動があって。あいつ、アホなんですよ。アホでしょ?」
清「笑ってええんかな....」
小「まあ、このアホというのも良いアホ。これがまたね、説得力も持ってて、「君」っていう言葉もぼくが言う「君」と、黒田の言う「君」は、「君」の伝わり方が違うことにノックダウンされて。「消えそうに咲きそうな」にしても、ぼくが歌うとなんとなく消えそうに咲きそうな蕾が浮かぶけど、あいつが歌うと、いっつも鳥肌が立つ。ものすごく立体的に絵が浮かぶんですよ、あいつの声って。」
続く。⇨
”もやもや” を ”まっしろ” に
すごくご無沙汰になってしまい、どうやってブログ書いてたっけな.....ってなっております。
わたしがブログを書くときは、ほとんど心に余裕がないときに落ち着かせるためのような気がします。
きょうはなんかね。もやもやと。したんですよ。うん。生きてりゃ、みんなあるんですよね、いろいろと。様々な悩みが。ね。いや、今回のは悩みというのかな。うん。わかんないけど。
もやもやを吐き出して、「みんな聞いてよー!」なんて書くのは自分的にきらい?苦手?なのですけども。
そんなもやもやしたときにやる、やすだ流の解決策がありまして。
それは、
なにかというとね、
ひみつ。
なんてね。冗談。(うざい)
それは、「紙と向き合う」です。
.......は?って思った方、そうですね。正しい反応ですね。
いや、でもわたくし単純でですね。昔、書道をずっと習ってたせいか、正座して紙と向き合って、ほかの考え事もせず、頭まっしろにして書くことがいちばん心が綺麗になるんですよね。ふしぎ。
なんでもええのです。もちろん、書道でもいいし、筆おろして、文鎮置いてっていうのがめんどくさけりゃ、ノートにボールペンやシャーペンで書くのもいいのです。
そうです。ただそれだけ、です。
それだけで、まっしろになれるんです。わたくし。
その姿は「病んでるんじゃねえか...こいつ大丈夫かよ...」ってなるかもしれないけど(笑)いいんです。!!!
おかげさまで、きょうもまっしろです。
、、こんな時間ですけどね。いいんです。
よしゃ。寝ますかな。
みなさん、きょうも良きいちにちを!
お仕事のみなさん、ともにがんばりましょう!
ではまた〜〜〜〜 ○
星が綺麗な夜でした/コブクロ